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創価大学 池田大作の過去 マジック落書き事件

池田大作マジック落書き事件

1970年(昭和45年)当時、会長職にあった池田大作が、創価学会第一庶務に在籍していた女性信者の娘の顔に、マジックで落書きをした。後日、娘から事実を知った女性信者が激怒して脱会、池田を民事訴訟で訴えた[35]。
^ 読売新聞昭和57年10月16日8面に掲載

 

子供の顔にマジックインキ塗られた吉田章子


 池田が得意の絶頂期にあった昭和40年代前半、学会の第一庶務室に三人の目立つ美女がいた。Aさん、Hさん、Mさんの三人。いずれも池田好みの容姿端麗派。池田は三人を特に可愛がり、同じく池田の側用人として仕える三人の男子若手有望幹部とのカップリングを思いついた。

相手の男性は特別書籍部(池田の代作・代筆グループ)の原島嵩、桐村泰次、上田雅一の三羽烏である。原島、桐村両人は既に結婚を約束した他の女性がおり、結局、池田の思惑通りに結婚したのは、上田雅一・京子夫妻だけに終わった。桐村夫人になり損ねたHさんは学会本部職員のY氏と結婚し、Y姓となった。一躍、その名が知られたのは、マジック写真流出事件以降である。Y夫妻の間に生まれた長女を、池田は自分の子供であるかのように異常に可愛がり、学会幹部の間で、誰の子供かと噂されるようになった。そして池田が、その長女の顔にマジックインキを塗りたくって、弄んだ。

 その写真が聖教新聞社のカメラマンによって撮影され、外部に流出した。「自分の子供に何をしても構わないだろう」との池田の意図が、裁判で間題にされた。


弁護側 マジックインキを塗ったことは?

池田  あります。

弁護側 この写真のいきさつは?

池田  Yさんの家は私の家から二、三分のところにあり、この子をとても可愛がっていた。四十七年頃と思う。私が三時の休み時間に、皆がなごやかになるであろうとイタズラした。

弁護側 度がすぎるのでは?

池田 子供があんまり可愛いので。聖教新聞の前には子供がよく遊んでいた。

裁判官 誰が面白がるのですか?

池田 自分も喜ぶ。子供も大人も。

 要するに池田は、近所の学会施設に住むY夫妻とその娘を、「文句がいえるか」とばかりにいたぶったのである。Y氏は当時、「聖教」資料室長。

マジック写真流出後は創価学会の図書館長を務め、生活費支給を池田に頼る身。何をされても、文句一ついえない立場である。

             《『スキャンダル・ウオッチング』68頁》

 

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